ジェフ・ベックのフュージョン期 Part 2 — 音楽の先見性を高めた情報感度

 

The cover of guitarist Jeff Beck's Wired album.

Wired
ベックは1976年に『Wired』のレコーディングを行う際、スタジオでプレイするメンバーを変更し、ベースにはウィルバー・バスコム、クラビネットとFenderローズにはマックス・ミドルトン、Minimoogシンセサイザーにはヤン・ハマー、ドラムにはナラダ・マイケル・ウォルデン、リチャード・ベイリー、そしてエド・グリーンを起用しました。1980年にベックは『Guitar Player』によるインタビューで次のように語っています。「ヤンの演奏は、彼がマハヴィシュヌ・オーケストラの初期メンバーだったときによく聴いていましたし、ビリー・コブハムと組んでいて、1973年にリリースされた彼のアルバム『Spectrum』にも参加していましたよね。それを聴いて、将来に対し新たな可能性を感じました。彼はMoogをまるでギターのように操っていて、そのサウンドに衝撃を受けたのです。そして私は彼のプレイを模倣するようになりました。彼と同じサウンドが出せるわけではありませんが、彼の紡ぎ出すフレーズには多大な影響を受けました。彼はきっと私よりも上手くギターが弾けるはずだ、と思うことがあるぐらいです!ヤンのテクノロジーの活用の仕方には常に驚かされますし、新しい世界を私にもたらしてくれます。彼のお陰で、世の中は常に変化しつづけていることに気が付きました。ぼやぼやしてはいられません。どんなことが起きているか常に注意を払っていないと、音楽について大事なことを見逃してしまいます」。


ベックのキャリア初期ではトレードマークとも言えたフィードバックとディストーションは、もう聴くことはできません。その代わりに、彼は8曲のインストゥルメンタルで技巧的な妙技とハーモニーの多様性を表現しています。ファンキーなリズムと複雑なコード進行により、このバンドがジャズの影響が大きいことは明らかでしたが、テンポとボリュームがアップするところでは、ベックはブルース・ロックの妙技も披露しています。


 

このアルバムは、レッド・ツェッペリンへのオマージュであると言われている、ミドルトン作曲のエネルギッシュな1曲、“Led Boots”で始まります。他の7曲のうち、グルーブ感あるヘビーな“Come Dancing”、リスナーを6:30にも渡る叙事詩的な長編の旅にいざなう“Sophie”、愛嬌たっぷりの“Play With Me”、ウォルデンがピアノを弾いている心地よい“Love Is Green”、これら4曲はナラダ・マイケル・ウォルデンが作曲しています。そして“Head for Backstage Pass”では、ウィルバー・バスコムが曲の前半を通して、素晴らしいベース・ソロを披露しています。


 

私を含め多くのリスナーにとって『Wired』で特に際立っている1曲は、ジェフがチャールズ・ミンガスのジャズ・スタンダードを哀愁を込めて聴かせる“Goodbye Pork Pie Hat”でしょう。その他の曲ではヤン・ハマーがシンセサイザーを弾いています。キーボードによる表現の主張が強すぎると悪評する熱狂的なギター評論家もいましたが、ベックも後にそれを認めるようなコメントを残しています。「キーボードと同じリード・パートを弾いていたのは、自分だけが目立とうとしていると非難されることを意識的に避けたかったからかもしれません」。しかし“Blue Wind”( 『Wired』で唯一ハマーが作曲し、ジョージ・マーティンがプロデュースした曲)でハマーが見せた巧みなシンセサイザーのラインとドラムは、ベックがどのような方向性でその後に控えていたワールドツアーを行うのか暗示していたと言えます。同ツアーでは、ベックとハマーが一晩ごとに入れ替わってソロをプレイしていました。


 

ジョージ・マーティンは、『Wired』のセッションのほうが『Blow By Blow』よりチャレンジが求められたと振り返っています。「我々にとって最初のアルバム『Blow By Blow』で大きな成功を収めたことが、心配性なジェフを苦しめることになりました。彼はあのアルバムの次はどうしたらよいのか悩んでいたのです。そういった理由で、『Wired』の制作のほうがより難しいものとなりました。ジェフは以前より内省的になり、常に心配そうに思い悩んでいました」。ベックは『Beckology』ボックスセットのライナーノーツで、自身の葛藤について次のように語っています。「ジョージ・マーティンは、どの言葉をとっても常に紳士的です。そして我々ミュージシャンが争うことがないよう、間を取り持ってくれていました。こうした私たちの均衡は、『Blow By Blow』のときは非常によく保たれていました。ですが『Wired』のときになると、自分が脚光を浴びたい欲がまた出てしまったんです。私はもっと凶暴な力を求めていましたが、そのためにはより簡潔明瞭なプレイが必要でした。ヤンのようにたくさんのノートを烈火のごとく繰り出しながらも簡潔明瞭なプレイを。マハヴィシュヌ・オーケストラが持つようなインパクトの演奏を、いちかばちかやってみようとしましたが、その企みはジョージには通用しませんでした。彼は、君がどこに向かおうとしているのか全く理解できないよ、と私に言ったのです」。


1978年のインタビューで、ジョージ・マーティンはベックとのレコーディング・テクニックについて次のように答えています。「私は、レコーディングに関しては本質的にとてもシンプルな人間です。そう言っても信じてくれない人も多いですが、事実です。特別なことは何もしていません。サウンドの99%はスタジオ元来のものであり、コントロール・ルームで何かしたからといって得られるものではありません。当然のことながら、良いマイクやEQ、そしてスタジオにおけるテクニックは不可欠ですが、それらについては最低限揃っていることが当たり前だと思っています。そして特にジェフの場合、ご存知の通り、彼のギター・サウンドは彼次第なところが大きいですよね。まず彼にこう伝えました。『もし僕が何か特別な魔法を使えると思っているなら、それは間違いだ。君がこれまでに作り出せたことがないサウンドを、私が提供できるわけじゃない。求めているサウンドは君のギターから生み出されるべきだし、それを実現できるかは君にかかっている』。そして私たちは作業を始めました。彼がスタジオ内で自ら作り出したサウンドを、我々がレコーディングという成果物に落とし込みます。もちろん多少の色付けは加えますが、特殊なトリックは使われていません。収録されているトラックは、極めて素の状態に近いなのです」。


「ジェフはとても風変わりな人間です。なぜなら彼は自分のギターそのものにはほとんど興味がない様子だったからです。彼が最も夢中になっていたのはホットロッドカーで、ケントの自宅でもかなりの数を所有していて、暇さえあれば車の下にもぐってオイル交換をし、油まみれになっていました。メカニックなことがとにかく好きでしたね。そしてギターはと言えば、古い鉄の塊ぐらいにしか思っていませんでした。彼が『このギターは本当に使えないよ』と言いながら、ボロボロの古いFenderを持って現れたとき、私は『他にギターは持ってないの?』と訊ねました。すると彼は、それが唯一所有するギターだと答えました。そしてそのギターを手に取って弾き始めたのですが、信じられないほど美しい夢のようなサウンドに、私は聴き惚れてしまいました」。(ジョージ・マーティン)


1975年の『Guitar Player』マガジンによるインタビューで、ジェフは当時どんなアンプやエフェクトを使っているかという質問を受け、次のように答えています。「私はいまだに同じワット数の出力、200Wのものを使っています。2台のFenderスピーカー・キャビネットと、Marshallのヘッドです。アンプにマイキングはしていますが。Beck, Bogert & Appiceのときは、Sunnのアンプを使っていました。Marshallのヘッドの方がしっくりくる歪みのサウンドで、Sunnは少しクリーン過ぎます。Fenderのスピーカーは、Marshallのスピーカーよりも安定感がありますが、ヘッドはMarshallのほうが好きですね。ブースターとワウワウも使っています。オーバードライブ・ブースターですね。歪みを得るためのプリアンプであって、ファズ・ボックスではありません。これにより瞬時にパワーとサスティーン、そしてディストーションを得ることができます」。


 

ベックの1977年のライブアルバムは、『Jeff Beck with the Jan Hammer Group』と名付けられました。1980年に『Guitar Player』で初となるカバー・ストーリーとして、我々は彼にインタビューを行い、ここ数年でどのようにソロ演奏に対する価値観が変わったかを尋ねました。彼は1977年のツアーを中心に、次のように答えてくれました。「ヤン・ハマーとプレイしたことで、これまでのソロに対する概念が完全に覆されました。3週間のツアーの間、ヤンのようなプレーヤーと毎日ソロを交互にプレイすることで、自分の限界にチャレンジすることができたのです。10分間のソロをプレイしたいなんて気持ちは全くありませんでした。そんなことに意義はないし、何の魅力も感じません。オーディエンスのテンションを上げていくために一人でソロを弾き続けるなんて安直なやり方です。ソロをやるからには、意味のあることをすべきです。お飾りでそこにいるだけでは通用しません。ソロには何かしら狙いがあって、曲をそこに導くことが重要です。今それができているかと言えばそうとは言えないですが、曲をどこかに導くようなソロをプレイするようにしています。そうすれば聴いている人たちが、『このギター・ソロは絶対聴くべきだ!それが始まるまではたいしたことないけど』、みたいなことをあれこれ言わなくなりますからね」。


私はベックに、1960年代にロッド・スチュワートの声、このツアーではヤン・ハマーと掛け合うギター・プレイについて尋ねました。彼は次のように答えました。「あれはごく自然に生まれたものです。月並みに聴こえるかもしれませんが、ケーキにアイシングを乗せたり、誰かと会話をするのと同じようなものなんです。本当にただそれだけのことです。ギターや、他の演奏しているものを通して何かを語るのです。私は可能な限りわかりやすく語るよう心掛けています。意味不明なことを語っても誰もわかってくれないですからね。すでに知っていることや、知らなくても興味がないことをくどくどと語られることほど気持ちが萎えるものはありません。それと全く同じことです」。


ヤン・ハマーとのツアーが終わると、ベックは表舞台から遠ざかり、ほとんどの時間を車の整備に費やす日々を送りました。ベックは次のように語っています。「スタジオで作業することは好きです。とても繊細に音作りができますからね。ガレージで鉄の塊と戯れる作業も、スタジオとは正反対で好きです。ガレージのほうが危険ですけどね。ギターに押しつぶされそうになったことはないですが、自分の所有するコルベットの下敷きになる可能性はないとは言い切れません」。


There and Back
ベックは1980年にスタジオでの活動を再開し、その時代としては最後となる、ピュアなフュージョンと呼べるレコードの制作に取り掛かりました。『There and Back』 のレコーディングの中心メンバーとして、ベーシストのモ・フォスターとドラマーのサイモン・フィリップスが参加しています。“Star Cycle”、“Too Much to Lose”、そして“You Never Know”では再びヤン・ハマーがプレイしており、ふたりの見事なタッグを再び聴くことができます。一方のミュージシャンはキーボード・シンセの鍵盤を押して音色を奏で、他方のミュージシャンはエレクトリック・ギターの弦を押したり引いたりしてますが、アタックやベンドのかかったノート、そしてトーンが共有され、どちらの楽器のものかほとんど区別できないほどの均衡を取り合えるレベルに到達しています。アルバムがリリースされる数週間前に我々が行っていたインタビュー中に、そのように感じたことを彼に伝えると、次のように答えてくれました。「それは私にとって嬉しい誉め言葉です!それは恐らく私たちが似たアプローチをしているからでしょう。ただしそれはメンタルの面でのみですが。ヤンと同じようなセットアップでプレイしたことはないですし、彼が演奏しているのは100%電子楽器で、私はギターという違いがあります。それでも私たちの間には、音にベンドをかけるときのアタック、そしてトーンの在り方についての基本的な考え方に共通するものがあるのです。あえて同じように聴こえるように努めたり、何か特別なトリックを使って同じサウンドにしようとしたことは一切ありません」。


 

There and Back』 のその他の曲では、キーボードにトニー・ハイマスを迎えています。 ベックは“The Pump”で歌うようなギターを存分に聴かせていますが、“El Becko”は生ピアノとギターによる相互作用を、見事なスライドでメタルロックな1曲へと昇華させています。“The Golden Road”でのベックのプレイは、この世のものとは思えない美しさをたたえています。“Space Boogie”は、自分のギターでどこまで早弾きできるか限界に挑んでいるような1曲です。ベックが作曲した唯一のトラック、“The Final Peace”では彼のブルージーで繊細なStratのラインと、ハイマスのシンセによる心地よいオーケストレーションが融合されています。


 

アルバムのためにどのような制作方法を取ったかベックに聞くと、彼は次のように答えました。「私は自分を改めて厳しく見つめなおし、トニー・ハイマスにも同じように厳しく接しました。私は今の自分の立ち位置を、彼に理解してもらおうとしたのです。なぜなら、トニーは78年に日本でのツアーが控えているときに、別のキーボード・プレーヤーが参加できなくなってしまったため、急遽代役で参加してもらったからです。トニーは覚えが早く、耳も良いですし、これまでに音楽で受けたトレーニングや理解もレベルが高かったので、私のやり方を彼に教え込むのは意味がないのではないかと思ったりもしました。私より音楽的知識がある彼に、“私が教える”と言うと偉そうに聴こえますが、私がやっていることが妥当ではないとも言い切れません。最初の2週間で、彼は私がわざわざ口にしなくても、どのようなことが求められているのかわかるようになりました。ですから、『There and Back』に収録されているほとんどの曲は、共にプレイしていくうちに進化していったのです。トニーは何でも書き留めていましたね。ただの紙切れの裏側に走り書きをしていました。そして私たちが合わせて演奏してみたときに、『ソロを演るのに、この構成はしっくりこないから変更しよう。このコードは外して別のところに入れよう』と言うだけで、彼とは上手くカスタマイズしながらトラックを組み立てていくことができました。当然、それがもともと彼の曲なのであれば、誰が何と言おうが彼の曲です。テクニックやギターのトリッキーな側面ではなく、メロディの面で自分が導かれるべき境地に達したと言えます。曲が自分の中に入ると、いろんなものが次から次へと溢れ出てくるのです。そうなるともう止められません。どんどんと自然に出てくるんですから!一方曲がいまいちな場合は、少し無理して突き詰める必要があります。メロディが全く意にそぐわない場合は、やめてしまいますね」。


Autographed promo photo for guitarist Jeff Beck's There and Back album.
ジェフ・ベックのサイン入り『There and Back 』のプロモーション写真

There and Back』のセッションを行うころには、すでにベックはGibson Les Paulを使わなくなっていました。ベックはそれについて、次のように説明していました。「Les Paulだと、結局誰か他の人と同じようなサウンドになってしまうのです。Stratのほうが自分らしいサウンドを出せると思うようになりました。実際、ニューアルバムではStratしか使用しませんでした。50年代のStratなので、酷いもんです。でも日々私を見つめ、そして挑みかけてくるんです。それに応え、私も挑み続けています。トレモロユニットが装備されていて、チューニングも狂いやすいし、プレイするのは非常に難しいですが、使い方を間違えなければ良い鳴りをしてくれます。かれこれこのStrat使い始めて2年経ちます」。


私はベックに、Fender純正のトレモロ・アームを使いながらもチューニングを保つために、何か特別な方法があるのか聞いてみたことがあります。彼は次のように答えました。「特別なブリッジやテールピースは使っていません。Fenderはとても良い作りをしていて、ブリッジとナットに非常に軽いグラファイトを使うことでチューニングを安定させることができています。弦が前後に揺れネックに沿って縦にスライドするときに、ナットの上で弦が引っかかるのは致命的ですが、その可能性を最小限に抑えられます。これにより、どこでバーを離したか、またはどのように弦をチョーキングしたかによって、シャープもしくはフラットさせることができるのです。以前は毎晩のように1弦と2弦が切れていましたが、本来はそこまで頻繁に切れないはずですから、何かしら問題があるのだと思いました。すると、弦はトレモロ・ユニット内部のブロックを通して出てくる箇所で前後に擦れていたのです。そこで私はパイピング(ワイヤーからプラスチックを剥がしたもの)を取り出し、外側のケースを弦の下に滑り込ませブリッジの後ろになるようにして、弦がプラスチックで保護されるようにしました。今では相当きつく巻き上げない限り、弦が切れることはなくなりました。弦高はかなり高めです。当然ながらStratで弦高が低すぎると、バンジョーのような響きになってしまいますからね」。


There and Back』で使われたその他の機材について尋ねると、ベックはこう答えました。「ブースターを手に入れたんです。Ibanez社の小型の黄色いボックスをモディファイしたものです。これにより同じ音でも、より大きなサウンドを得ることができるようになりました。大幅にトーンを変えたくはなかったのです。なぜならギターそのもののクリーンなサウンドが素晴らしいからです!でも、サスティーンも持たせつつ、もう少しボリュームを上げながら同じサウンドを保てればベストです。そして、Tychobrahe Paraflangerも使いました。これは素晴らしいエフェクターです。そして基本的にMarshallのアンプのヘッドは、ロッド・スチュワートと一緒にやっていた頃と同じものを使用しています。バルブもシャーシも同じです。1、2ヵ所故障しているかもしれませんが、基本的には同じものです。実は、ソケット内のいくつかのバルブ(チューブ)はサビついてしてしまっていて、取り出すことすらできないのです」。


最後に、彼にとって機材はどれぐらい意味があるのか尋ねると、ベックは次のように語ってくれました。「私にとって機材はあまり意味がありません。時々他の人のギターを弾かせてもらうと、そのギターの素晴らしさにインスピレーションを得てつい弾くのに夢中になってしまうことはあります。とは言え、そのギターを十分弾き倒して、それからまた自分のギターを弾いてみると、同じように新たなインスピレーションを得られることもあります。上手くやっていくためには変化、そして多様性が不可欠なのです」。ベックがそのことを一番よく分かっています。


その後のベックについて
ベックは『Jeff Beck’s Guitar Shop』や『Who Else』、『You Had It Coming』からも分かる通り、その後数年にわたり何度もインストゥルメンタルの形式に戻ってきました。しかし『Blow By Blow』、『Wired』、そして『There and Back』ほど、フュージョンの核心をついているアルバムはないでしょう。これらアルバムが作られていく過程で、彼はロック・ギターはどのように鳴るべきかという先入観を見事に打ち破りました。彼のウェブサイト、jeffbeck.comでは次のような記述があります。「プログレッシブ・ロックの魂と複雑さに、誰も真似できないギター・トーンとユーモアのセンスを両立させたジャズの即興の自由を融合させることで、ベックはスティーヴ・ヴァイやジョー・サトリアーニを始めとする未来のギター・インストゥルメンタリストの道を切り開きました」。


ベックがフュージョン期に使用していた機材の特定に協力してくれた、ジョー・ホールズワースに感謝します。


Main photo: Robert Knight Archive/Redferns, Getty Images.
Autographed promo photo courtesy of Jas Obrecht.


ジェフ・ベックのフュージョン期 Part 1 — ギター・ヒーローの自己再開発



長年『Guitar Player』のエディターを務めたジャス・オブレヒトは、『Rollin’ and Tumblin’: The Postwar Blues Guitarists, Early Blues: The First Stars of Blues Guitar, Talking Guitar』、『Stone Free: Jimi Hendrix in London』を始めとする、ブルース及びロック・ギタリストについての著書を数多く執筆しています。


*ここで使用されている全ての製品名は各所有者の商標であり、Line 6との関連や協力関係はありません。他社の商標は、Line 6がサウンド・モデルの開発において研究したトーンとサウンドを識別する目的でのみ使用されています。