ヴァイナルのあるライフスタイルについての物語

 

これは情熱、テクノロジー、アート、そして好奇心に関する物語です。

私は1982年頃、若きエンジニアとしてロスのスタジオ業界に足を踏み入れました。エンジニアとして働き始めた当初、運良くレコーディング・スタジオを所有する地元のレーベルで職を得ることができました。私にとってスタジオは、とてもワクワクする魅力的な場所でした。広さの異なるレコーディング・ルームが3部屋あり、どの部屋も2台の24トラック・アナログ・マシン、2台の2トラック/4トラック・マシン、そしてムービング・フェーダーのオートメーション機能が備わった40インプットのコンソールという、同じ機材構成になっていました。アウトボード・ギアのラック、パッチベイも共通のものが使用されており、さらには6つのリバーブ・チャンバーも用意されていました。そして極め付きは、Neumannの旋盤、Telefunkenのマスタリング・デスク、コンパニオン・マシンが揃ったマスタリング・スタジオです。


駆け出しの身である自分にとっては、これこそが本物のオーディオ天国だと思っていました。入念に考え抜かれた完璧な環境で働き、報酬まで得られるなんて夢のような話です。そして仕事の一環で様々な音楽を聴くことができるのも幸運でした。このスタジオは少数精鋭のプロ達によるコラボレーションの産物であり、その素晴らしさは折り紙付きだったのです。クリエイティブなプロセスに集中できるよう、システム面も処理の仕方も、すべてがプロフェッショナルで最高レベルにデザインされていました。私が特に凄いと感じていたのは、ラッカー盤を扱えるマスタリング・ルームです。その技術は未来の幕開けのようで、私を魅了しました。そこで働いた5年間の間に、数多くの受賞アルバムがカッティング、そしてミックスされるのを目の当たりにしました。


音楽だけでなく、それに関連するテクノロジーにも強い興味があったため、その後私はそのスタジオを退職し、ライブ・サウンドとその製品にかかわる業界に身を置くことにしました。いくつかの世界の主要な機材メーカーの一員として世界中を旅し、充実した年月を過ごすことができました。

Photo: Lori Butcher

それから時が流れ2019年。私はオーディオ業界での経験や、自らが成し遂げてきたことについて振り返ってみました。我ながら実に多種多様な経験をし、充実していたと思う一方、スタジオ業界とはすっかり無縁になってしまった自分に気が付きました。そして自分が慣れ親しんだ世界の中で、何か新しいことを始めてみたいとうずうずするようになったのです。と同時に、スタジオの音や匂い、専門機材など、あの独特の雰囲気が急に懐かしくなりました。スタジオでの作業や、常にミュージシャンと美しい音楽に囲まれているあの感じが大好きだったのです。このスタジオを懐かしむ気持ちは、やがてある夢に変わっていきました。それは、自分のレコード・レーベルを設立したいというものでした。


そして自分で起業する場合は、ハイレゾのデジタル・マルチチャンネル・レコーディングにフォーカスし、ミックスを、ステレオから新興のイマーシブ・フォーマットに適応させられるワークフローを構築しようと考えました。信頼のおける、特にその手の知識に詳しい音楽愛好家、才能豊かなミュージシャン、そしてアドバイザーの何人かに意見を求めると、皆一様に「君はヴァイナルが作りたいの?」と聞き返してきました。たったその一言で、私の眠っていた情熱が呼び起こされました。私はいつのときもレコードを作ることが好きでした。そして、これまでに多くの素晴らしい喜びや充足感を感じる日々を与えてくれた、その旅を志すことにしたのです。もっと早く行動していればよかったと思っています。でも、なぜこの21世紀にわざわざヴァイナルを?と思われましたよね。


ここで私の個人的な音楽、テクノロジー、愛、アドベンチャー、そして再発見についての物語をお話したいと思います(多くの部分はパンデミック以前のお話です。この先、誰にもコントロールできない要因で、路線転換や方向性の修正はあるかもしれませんが、これらすべてを楽しみたいと思います)。


ヴァイナル・レコード制作のことを考えるようになって、私はまず市場規模を知ることから始めました。ここ5年で、ヴァイナルのセールスは年々増加しているとは聞いていました。ネットでざっと調べたところ、Recording Industry Association of America (RIAA)によれば、2019年のヴァイナルの出荷数は3,000万枚だったということです。この数を多いと見るか、少ないと見るのか。またこの数字が本当に正しいのかも不確かだったため、新しいビジネスを始める前にもっと詳しく調べてみる必要がありました。でも、とりあえずハイファイ・オーディオ店で新しいターンテーブルを購入し、美しい音楽を聴くための神殿のような環境を整えたのです。

フロイデンバーグの神殿は、Technics SL-1200Gターンテーブル、Technics SU-G700インテグレーテッドアンプ、Technics SL-G700 Network/SACDプレーヤー(右のキャビネット内)、MartinLogan ESL X静電型スピーカー、MartinLogan Dynamo 1100Xサブウーファー、Kerf Design製カスタム・ハイファイ・キャビネットで構成されています。

神殿の完成後、昔よく聴いていたお気に入りの音楽のヴァイナルを数枚購入し、夜な夜なそれらを聴いて過ごしました。携帯電話も一切見ず、何もせずただじっとリビングルームに鳴り響く音の波に耳を傾けました。若い頃はこうしてレコードを聴いてばかりいたものです。床に寝転がって、アルバムのジャケットとライナーノーツを眺めながら何時間も過ごしていました。自宅のこの新しい機材でレコードを聴くようになって、音楽をどこにでも持ち運びできる時代に失ったものがあることを気づかされました。一昔前は音楽を聴くことが主体でしたが、今は何か他のことをしながら聞き流すことのほうが増えたのは間違いありません。レコードを聴くという楽しみを、集団的な意識の中に取り戻すためにできる限りのことをしたいと思うようになり、今では息子と“音楽の時間”を持つことが、我が家の新しい習慣となりました。ほぼ毎日20分ほどレコードを聴くようにしていますが、そのほとんどはアート・ブレイキー、デューク・エリントン、キース・ジャレットといった代表的なジャズ・アーティストです。その時間は私にとって至福の時です。


それから私は本格的な市場調査を開始しました。業界の資料を含む様々な情報を、幅広くオンラインでチェックし、そして地元のレコード・プレス工場にお邪魔して話を伺ったのですが、そこの人達は喜んで話を聞かせてくれました。この工場では、プレートの製造及び処理、そしてプレス、パッキングまでを専門に行っています。レコード制作に情熱を注ぐ専門家たちの手による各プロセスは、緻密で高い精度を誇ります。彼らに市場規模について尋ねたとき、彼らの持つ実際の数値と自分が見つけたデータにどれぐらい違いがあるのだろうと思っていたのですが、彼らの答えには驚かされました。年間に製造される実際のヴァイナル盤の数は、業界の統計データよりも5~7倍多かったのです。なぜそれほどの違いが生じるのでしょうか。


答えは、どの角度からによるものかで多少の違いが出るでしょうが、今日プレスされるヴァイナルのほとんどが、熱狂的なリスナーやコレクター向けの限定的な市場に向け製造されているというのは共通認識だと思います。ブティック・レーベルが直接消費者に販売することも多く、少量のロットでしか製造を行わないため、一般的な販売実績の追跡方法では正確な統計が取れないのでしょう。多くのヴァイナル・プロジェクトは、ゴールドやプラチナを目標にするようなセールス重視ではありません(依然夢であることは変わりませんが)。こういったブティック・ヴァイナルのプロデューサーは限られた数のレコードしか制作せず、質の高い製品を耳の肥えた一部愛好家に提供することを重視しています。


マスタリング・エンジニアやプレスのクオリティ、ヴァイナルの重さ、プリンティング、プロダクション要素、そして重要なポイントですが、ブティック・プロデューサーとして消費者の期待値をどうやって推し量るのかといった、業界のその他の側面についても尋ねました。それら情報で最も有益だったのは、急いで進めないということです。そう、このスピード重視の世の中にあってもヴァイナルの世界は時間の流れが遅いのです。すべての手順がリアルタイムの出来事であり、ハードウェアでスピードアップすることはありません。ヴァイナルを生むプロセス、そしてその世界観では時間の流れが緩やかであり、究極的には時間をかけて慎重に吟味して音楽をディープに聴くという没入体験であると言えるでしょう。


フロイデンバーグが所有するスタジオのコントロール・ルームは、Gamble EX56コンソール、Tannoy System 1200モニター、Heritage Audio RAM System 5000モニター・コントローラー、Pro-Ject Phono Box RS MM/MCプリアンプ、Bryston 14B及び4Bパワー・アンプ、Digidesign 192 HDインターフェース、Antelope Audio Orion 32+ Gen 3オーディオ・インターフェース、Lexicon 960Lデジタル・リバーブ、ADL 1000真空管オンプレッサー/リミッター、Focusrite ISA430 MKIIマイク・プリアンプ、Technics SL-1200 MKIIターンテーブル、 Argosy及びAudioRax製ラック、Acoustics First製アコースティック・パネルで構成されています。

入手した情報はどれもポジティブなもので、それならば是非ともレコード・レーベルを立ち上げ、ヴァイナル・レコードを作ろうと心を決めました。しかしそれだけにとどまらず、バンドメンバー全員を一つの部屋に集めて同時に演奏する、ライブ・レコーディングの手法を復活させることを計画しました。サックスは月曜日、キーボードは火曜日、ボーカル録りは金曜日、というのはナシです。ミュージシャンたちが集うことで生まれる独特のエネルギー、それもキャプチャーしたいと思ったのです。次は賛同してくれるミュージシャンを探す必要がありました。


知人の何人か、そして過去に接点のなかった何名かにも、ライブ・レコーディングによるヴァイナルをリリースする計画に協力をしてもらえないか打診しました。私がコンタクトした全員が乗り気で、協力したいとほぼ即答してくれたのです。彼らの反応を見る限り、自分の決断は間違っていなかったと確信し、そして自分のレコード・レーベル“SoundScapes Media Group”の立ち上げに着手しました。


新種の感染力の強いウイルスが世界中に蔓延し始めたという騒ぎが広まりだすまでは、準備は順調に進んでいました。そして、感染者増加のカーブは2週間もあれば減少に転じるであろうという見解は楽観的なことが判明し、その後いよいよ4カ月のロックダウンに突入したときには、このレコード・レーベルを当初の計画通りに立ち上げるのは無理なことが明らかになりました。スタジオは閉鎖され、ミュージシャンたちは引きこもり、スタジオでライブ・レコーディングを行う私の夢は中断せざるを得ませんでした。


そこで私は最初にコンタクトを取ったアーティストたちと連絡を取り、何か未リリースの素材がないか、もしあればそれらを独占的にヴァイナルでリリース可能かどうか確認しました。世界中がこの難局に直面している最中であっても、それならば実現できそうだと思ったのです。そして全員がOKしてくれたのは驚くべき幸運でした。こうして私はまたビジネスを継続することが可能になったのです。A&Rを済ませ、デジタル・マスター・レコーディングが完成し、曲順、長さが決まり、ヴァイナルのマスタリングが行われました。


それから数カ月後、レコード制作が軌道に乗ってきた矢先、私の住む街は山火事の影響でインターネット・サービスがストップしてしまい、一時的にストリーミング・メディアを聴くことができなくなりました。その時にも、自分が始めたビジネスは間違っていなかったと改めて思いました。ヴァイナルならネット環境がなくとも音楽を聴くことができます。そう考えたあとに、ある気づきがありました。ヴァイナルは、音楽の最も自由な形態だということです。電気が通っている限りいつでも好きなだけ聴くことができ、興味を持ちそうな他の楽曲を勧める目的で第三者からトラッキングされることもありませんし、誰もあなたからヴァイナルを取り上げることはできません。ヴァイナルなら音楽を自由に使うことができ、誰かと共有することもできます。


Photo: Natalya Rozhkova

収録される音楽の問題は解決できたので、次は残りのプロセスに目を向けました。ヴァイナルについては、耐久性、そして音楽の質を保証することを示すために、180gの重量盤を採用しました。


アルバムのジャケット制作では、ビジュアル・アーティストである友人たちの助けを借り、その過程は信じられないほどスムーズに進みました。絵やスケッチ、写真など、様々なグラフィック要素が用いられました。最終的なパッケージには、ジャケット、内側のゲートフォールド(見開きジャケット)、ディスクラベル、さらにはポスターや歌詞カードに至るまで、複数のアート作品が詰まっています。これらすべての要素がひとつになり、アートを新たな次元へと高めるのです。存在感ある12インチのパッケージは、ヴァイナルを所有することの意義を感じさせて、最初の没入体験になるでしょう。しかし、さらに重要なのは、このパッケージに特別な思い入れを注いで磨きをかけてきたアーティストと制作者たちです。その結晶が、アルバムを構成する様々な要素を足し算した以上の価値が生まれ、長年大事に所有される製品となるのです。


ヴァイナルの制作過程で感動したことのひとつは、オリジナルの96kHz/24bit デジタルファイルと、テストプレスされたヴァイナルを聴き比べできたことです。その違いは歴然で、ヴァイナルはトラックの中からサウンドを持ち上げてくれる感覚があり、立体的なバイブレーションを感じました。ウォームでどっしりとしたボトムエンド、クリアで存在感のあるミッドレンジ、スムーズで開放されたトップエンド。甲高い角のあるサウンドではなく、762mのマイクログルーヴをゆっくりと心地よく下降していく感じです。


近年、デジタル・フォーマットのシングルの場合は、“ドロップ”という表現が使われるようになりました。皆さんの場合はどうか分かりませんが、私にとってはドロップと言えば、何かを失くすか壊れるかです。一方ヴァイナルのLPの場合は“リリース”という表現を使います。ケージに閉じ込められていた生命力溢れる動物が、束縛から解放されるのと同様に。どちらの表現を使うのも自由ですが、個人的にはオールドファッションなアルバム・リリースの方を選択しますね。

Photo: BrAt82

ヴァイナル・レコードは傷みやすいと思っている方もいらっしゃると思いますが、正しく扱えばそんなことはありません。並ぶ背表紙の中からお目当てを探しだし、ジャケットを保護するために購入したプラスチック製スリーブから取り出す。ディスクを内側のスリーブから慎重に滑り出させてターンテーブルに置く。クリーニングパッドで優しく拭いてあげる。そして針をそっと溝のリードインに定めてゆっくりとアームを下げる。レコードを聴き終わったら、今とは逆の手順で丁寧にスリーブに戻す。この一連の動作を行う際に、ヴァイナル・レコードを大事に扱うだけで、所有者はそれらレコードの価値をさらに高めることができるのです。


マスターとなるラッカーにメッキが施された後、プレス用ツール一式が用意されます。この1パターンのツールは1枚のマスターディスクから作成されます。これらのツールの耐用回数には限りがあり、製造できるプレスの数も限定されるため、物理的なものに一定の希少価値が生まれます。


アナログ・テープの時代には、オリジナルのマスター・テープの保存には細心の注意が払われました。なぜならマスターはひとつしか存在しなかったからです。多くの場合コピーが作られはしましたが、当時のエンジニアには、トラッキングやミキシングの各段階でクオリティが最も高い状態のオリジナルのマスター・テープを使用することが求められていました。繰り返しになりますが、オリジナルがたったひとつしか存在しないため、その価値の高さが増すのです。


私がヴァイナル作りに乗り出してからの一番なるほどと思ったのは、ヴァイナルは、他のどの媒体よりも人と人を繋ぐことができるという気付きであったかもしれません。ヴァイナルは素晴らしいコラボレーションから生まれ、そして同様にコラボレーションの中で最適に消費されます。音楽を届けるのに、ストリーミングがファストフードだとすれば、ヴァイナルはスローフードです。愛情を込めた健康的な食材を使って調理され、その時間に浸りゆっくり味わうコース料理のようなものと言えます。


この記事を執筆している間に、Soundscapes Media Groupでは1枚のアルバムが完成し(2種類のバージョンがあり、コレクターズ・エディションにはポスターが付属します)、3枚のアルバムを完成に向け制作中です。


ここまでお話しをしたので、2021年7月17日の“Record Store Day”に私がどこにいるか敢えて言う必要はありませんよね。新たな発見のために目と耳を駆使し、ひたすら箱の中のレコード漁りに何時間も費やしていることでしょう。あなたが世界中のどこにいようとも、どうぞお気軽に私と共にレコードを楽しみましょう。長くその形を残すことができるものを手に入れるために。

Main photo: James Kirkikis

ポール・フロイデンバーグは、生涯に渡り音楽とテクノロジーを愛するオーディオ・エンジニア、テクニカル/エディトリアル・ライター、そしてプロオーディオ機材に精通するヴァイナル愛好家であり、ジャズ、ブルース、ワールドミュージックを中心としたヴァイナルのみを取り扱うレコード・レーベル、SoundScapes Media Groupの創設者です。


*ここで使用されている全ての製品名は各所有者の商標であり、Line 6との関連や協力関係はありません。他社の商標は、Line 6がサウンド・モデルの開発において研究したトーンとサウンドを識別する目的でのみ使用されています。