ドクター・モリ―・ミラー:女性ギタリストのパイオニア達

 

ギタリストのパイオニアと言えば、まずはチャック・ベリーやチェット・アトキンス、ロバート・ジョンソンらの名前を思い浮かべるのではないでしょうか。当然の事ながら、彼らを抜きに音楽史を語ることはできません。一方、楽器やアメリカの音楽史を語る上で、3人の偉大な女性がしばしば見落とされていることをご存じでしょうか?彼女たちは革新的なギターの奏法を生み出し、新たなジャンルを確立、後世に多大な影響を与えました。メンフィス・ミニー、メイベル・カーター、そしてシスター・ロゼッタ・サープ。彼女たちもまた、ギタリストのパイオニアであり、私のヒーローでもあります。


私はとある有名な音楽学校でギターを学びましたが、彼女たちの存在を知ったのは25歳になってからでした。それから彼女たちについて熱心に探究することになります。アメリカの音楽の発展になくてはならないこれら3人の女性たちの存在に、日常の中では気づかずにいたのです。


メンフィス・ミニーは“カントリー・ブルースの女王”として知られています。彼女はR&Bとシカゴ・ブルースの発展に貢献しました。誰もが耳にしたことがある楽曲を数多く生み出し、そして彼女がプレイしているレコードも知らず知らずのうちに聴いているはずです。しかし、彼女の名前はあまり知られていません。彼女は1920年代に、テネシー州メンフィスのビール・ストリートでキャリアをスタートさせました。彼女はストリートで演奏し、曲を書き、彼女独特のプレイ・スタイルを編み出しました。リングリング・ブラザーズとツアーをしたことだってあるんです!彼女は、音楽のハブでありブルースの誕生した地でもあるメンフィスで、自分の身の回りにある音楽から影響を受けました。ですから、彼女のスタイルのベースは強力なブルースを基盤に成り立っているのです。彼女の楽曲の多くがリフ中心であることからも、その事はおわかりいただけるでしょう。また彼女のプレイ・スタイルは、当時流行していたラグタイムの影響を受けていることも見て取れます。彼女は、ベースライン、コード、そしてメロディをすべて同時に弾くことでラグタイムのピアニストをエミュレートし、それは驚くべきものでした。彼女はラグタイムとブルースをブレンドし、ユニークな自分だけのサウンドを作り出したのです。


1928年頃: ブルースのギタリスト/シンガー、メンフィス・ミニーの肖像画 (Photo by Donaldson Collection/Getty Images)

メンフィス・ミニーは非常にタフな女性としても知られていました。彼女は常にナイフと銃、それからもちろんギターをどこにでも持ち歩いていたそうです。そしてギャンブルや噛みたばこを好み(曲の間でよく吐き出していたそうです)、恐いもの知らずの女性でした。あのビッグ・ビル・ブルーンジーにも果敢にピッキング・マッチを申し入れたこともあります(当時はどちらがより優れたギタリストかを証明するために、ギタリスト同士が“ピッキング・マッチ”をしていました)。そして勝利しました。私は彼女のライブ動画をずっと探し続けているのですが、いまだに見つけられていません。残念ながら今のところライブ映像はありませんが、彼女がいかにとてつもない女性であったか知ることができる逸話はいくつも残っています。


ミニーは1930年代にシカゴに移り住み、その後かの有名なブルース界のプロデューサー、レスター・メルローズが所有するスタジオ付きのセッション・プレーヤーになりました。タンパ・レッドやビッグ・ビル・ブルーンジーらも、そこでセッション・プレーヤーを務めていました。当時メルローズのスタジオは、その界隈の主要スタジオのひとつで、シカゴ・ブルースの発展に大きく貢献しました。またシカゴ・ブルースが発展し、R&Bが生まれるきっかけともなったレコードの多くに、ミニーのプレイが収録されています。彼女は主にリード・ギター、リズム・ギターを弾いていましたが、エレキギターを弾き始めた先駆者の一人でもあります。彼女はギター・プレイの最前線で活躍し、いろんな意味で既成概念の枠を超えた存在だったのです。


ミニーはソングライティングにおいてもその才能を発揮しました。彼女は200以上の楽曲を書き、その多くはブルースのスタンダード曲となりました。彼女の存在を知ったとき、すでにその曲の多くは聞き馴染みのあるものでした。なぜなら、レッド・ツェッペリンの“When the Levee Breaks”(この曲は他にも多くのアーティストがカバーし、作品として残しています)、ボブ・ディランの“Baby Let Me Follow You Down”(ミニーの楽曲“Can I Do It for You”をベースにしています)、マジー・スターの“I’m Sailin’”、ブルースのスタンダードとして知られるジェファーソン・エアプレインの“Me and My Chauffeur Blues”など、数えきれないほどのミニーの曲を数多くのアーティストたちがカバーしているからです。これらの曲は確かに聴いたことがあると言う人は多いにもかかわらず、メンフィス・ミニーという名前は聴いたことがない人がほとんどでしょう。彼女が後世に与えた影響は計り知れませんが、1973年に貧困の末に亡くなったときには、墓石を買うお金すら残っていませんでした。それから20年もの月日が経った1996年に、彼女に相応しい墓碑をボニー・レイットが寄贈しました。メンフィス・ミニーは決して有名ではありませんが、彼女の本当の価値や影響力を正当に評価している人達も少なからず存在するのです。


カントリー・ミュージック界の母として知られる”マザー”・メイベル・カーターもまた、アメリカの音楽史に大きな影響を与えたことは疑う余地もありません。彼女はカントリー・ミュージックのジャンルを確立したひとりであり、ギターのリード楽器としての地位を築いた立役者でもあります。彼女は1909年、ヴァージニア州の“プア・ヴァレー(痩せた土地)”の生まれで、彼女の家族とともにスピリチャル&フォーク・ミュージックを主に歌い、楽器を演奏して育ちました。のちにメイベルは、彼女の従姉のサラ、そしてサラの夫でありメイベルの義理の兄でもあったA.P.とトリオを結成します。このバンドはカーター・ファミリーとして知られ、農村で初めてバンドとして営業活動を行ったカントリー・グループでした。そしてメイベルの独特なギター奏法が、バンドの売りとなりました。彼らのスタイルはヒルビリー音楽のひとつとして知られていましたが、メイベルの革新的な奏法によって、そこから派生し、カントリー・ミュージックが誕生したのです。


1963年、ロードアイランド州ニューポートで開催されたニューポート・フォーク・フェスティバルでプレイするカントリー・シンガー/ミュージシャン、そして独創的で未来に多大な影響を与えたカントリー・ミュージック・トリオ、カーター・ファミリー結成メンバーのひとり、メイベル・カーター (Photo by David Gahr/Getty Images)

メイベルが生み出した革新的な奏法が新たなジャンルを生み、ギターの可能性を大きく広げました。彼女は“カーター・スクラッチ”と呼ばれるテクニックを考案し、それがギタリストの間に普及して、今では多くのミュージシャンたちがメロディーラインとコードを一度に弾くこのテクニックを当たり前のように使用しています。彼女にとっては、トリオのサウンドの隙を埋めるための必要に迫られた奏法だったのだと語っています。彼女がこの奏法を使いプレイしている動画は数多く存在しますので、是非チェックしてみてください。またカーター・ファミリーが編み出したもうひとつの音楽面での革新は、特定の楽器を瞬間的に際立たせたいときに、曲の中にブレークを入れる手法です。“カーター・スクラッチ”も、このプレイ中のブレークも、ギターをリード楽器として確立するのに役立ちました。


メイベルは、オリジナル・カーター・ファミリーの解散後、彼女の3人の娘たち、アニタ、ヘレン、ジューン(ジョニー・キャッシュの妻)と新たなグループを結成しました。彼女たちは、テネシー州ノックスビルとヴァージニア州のラジオ局で番組を持っていましたが、その後1950年に「カントリー・ミュージックの聖地」であるナッシュビルに腰を落ち着けます。そのため、ナッシュビルでは、カントリー・ミュージックへのメイベルの影響はさらに強まります。彼女は頻繁にグランド・オール・オプリに出演し、その音楽シーンにおける女家長的存在となっていきました。フラット&スクラグスのファースト・アルバムのレコーディングに参加し、チェット・アトキンス(メイベルが再始動させたカーター・ファミリーのメンバーであり、彼の代表的なヒット曲のひとつ、“Maybelle”は彼女への敬意を込めた曲でした)の初期のキャリア形成に助力するなど、カントリー・ミュージック界に様々な形で貢献しました。どんなカントリー・ミュージックにも、何かしらメイベルの痕跡が見られると言われています。


シスター・ロゼッタ・サープ。彼女は“ロックンロールのゴッド・マザー”、そして“ソウルシスターの元祖”と称されています。最後に、ギターやアメリカに於けるいくつものジャンルの発展に多大な影響を与えたこの女性に注目してみましょう。彼女はチャーチ・オブ・ゴッド教会で育ち、またたくまに教会のスターになりました。教会を次々と旅して周っては、ギターやピアノを演奏し、そして自ら歌いダンスを披露しました。彼女は生まれながらにショーの天才だったと言えます。ニューヨークに移り住んでからは、ラッキー・ミリンダー、キャブ・キャロウェイ、デューク・エリントンといった一流のジャズ・バンドらとプレイしています。この頃から彼女は、ゴスペルと宗教色を排した音楽をミックスするスタイルを始めましたが、当時それは前代未聞なことでした。非宗教的な場所でゴスペル・ミュージックを演奏するときは、ゴスペルの曲の意味が変わるように歌詞を変えて歌ったのです。例えば“Rock Me”では、“Jesus hear me praying(神が私の祈りに耳を傾ける)”を“won't you hear me singing(私の歌を聴いてくれないの?)”といった具合に。また彼女はジャンルやリリックだけでなく、ギターにおいても破天荒でした。


1957年11月、ウェールズのカーディフで、クリス・バーバーのジャズ・バンドとステージに立ちプレイするシスター・ロゼッタ・サープ。 (Photo by Chris Ware/Keystone Features/Getty Images)

彼女は、私たちが「これぞロックンロール」とするギター・プレイの原点となりました。そしてそれを彼女も自覚していました!1957年に彼女はこう言っています。「私がやっていることを、なぜ“ロックンロール”という新しいジャンルって呼ぶの?私はもうずっと何年もこのスタイルでやってきたわ」。彼女にとっては、速い3連符のフレーズ(完全にロック!)を弾きこなし、誰よりも早く重音奏法やスライド奏法もプレイしていました。ライブでは、彼女は腕を大きく回すロックの象徴的な弾き方もしていました。ピート・タウンゼンドが始めたとされるこのウィンドミル奏法も、実ははるか前から彼女がやっていた事なのです。


“ロックンロール”の生みの親とて私たちが認識している人たちにとっても、ロゼッタは憧れの的でした。チャック・ベリー、エルビス、ジェリー・リー・ルイス、リトル・リチャードらも皆、彼らの音楽はロゼッタから大きな影響を受けていると公言しています。リトル・リチャードが教会以外ではじめて人前でプレイしたのは、ロゼッタがよくパフォーマンスをしていたステージでしたし、エルビスは、ロゼッタのバック・コーラスを務めていたザ・ジョーダネアーズを起用していました。1960年代に彼女はイギリスを訪れ、ジャズプロモーター、ジョージ・ウェインと共に何度かヨーロッパをツアーしました。ボブ・ディランは「イギリスでは、彼女のパフォーマンスを見た多くの若者が、その後こぞってエレキギターを弾き始めたよ」と語っています。彼女がプレイしている動画は必見です。畏敬の念を抱かせるほど、彼女はパワフルで非常に影響力に溢れた存在です。


メンフィス・ミニー、マザー・メイベル・カーター、そしてシスター・ロゼッタ・サープは、音楽及びギター史における巨人です。彼女たちが存在しなければ、ロック、ポップス、カントリー、アメリカーナ、R&B、ブルースといった音楽は、今日のような形に発展していなかったでしょう。1930年代、1940年代では、ほとんどのギタリストはリズムをかき鳴らすだけの役割しかありませんでした。しかし、彼女たち3人がその常識を打ち破ったのです。ギターの限界を押し上げ、今日のリード楽器としての地位の確立に大きく貢献しました。彼女たちは、スタイルは違っても、同じ時代にそれぞれ異なる場所で革新を起こしていたのです。


これほどまでの重要人物たちが、なぜほとんど世間に知られていないのか、その問題は軽視できません。彼女たちが女性だからでしょうか。それとも一世代以上も前の話だからでしょうか。彼女たちは真のヒーローです。彼らの次の世代、つまり私たちに教える立場にある人々も、彼女たちから大きな影響を受けていると語っています。

一方彼女たちを敬い、正当に評価する人たちがいるのも事実です。メイベルは、女性として初めてカントリー・ミュージックの殿堂入りを果たしました。メンフィス・ミニーの楽曲の多くは、今ではスタンダードとして広く愛されています。シスター・ロゼッタ・サープは最近になってようやく、本来もっと早く受けるべきであったコンテンポラリー・アーティストとしての正当な評価を得られるようになりました。アラバマ・シェイクスのブリタニー・ハワードは、グラミー賞のスピーチの中で彼女に敬意を表しました。彼女たちの名前がこんなにも長い間忘れ去られ、私が彼女たちの存在を知るまでにこれほど時間がかかってしまったこと。そしていまだに彼女たちについて知らない人たち、特にギタリストが多くいるのか、その事実には驚きを隠せません。彼女たちがギターや音楽史に多大な影響を与えたからだけでなく、私の選んだ女性ギタリストとしての道を先導し、開拓してくれた事に対する感謝の気持ちは言葉では言い尽くせません。

ドクター・モリー・ミラーは、ジェーソン・ムラーズを始めとする数々のアーティストとレコーディング、ツアーを行う傍ら、自身のバンド、モリー・ミラー・トリオを率い活動しています。またロサンゼルス・カレッジ・オブ・ミュージックのギター専攻科で、主任も務めています。


*ここで使用されている全ての製品名は各所有者の商標であり、Line 6との関連や協力関係はありません。他社の商標は、Line 6がサウンド・モデルの開発において研究したトーンとサウンドを識別する目的でのみ使用されています。