ロックの黄金期に脚光を浴びることのなかったイギリスのギター・アンプたち

 

個人的な好みによって多少の違いはあるとしても、ほとんどのギタリストが、これぞ“クラシックなブリティッシュ・トーン”というイメージをお持ちではないでしょうか。イギリスのバルブ・アンプ黄金期におけるMarshall、そしてVoxアンプの伝説的なサウンドが正にそれにあたると思いますが、中にはHiwattの太いサウンドやOrangeの独特な歪みを思い浮かべる方もいらっしゃるでしょう。いずれにしても、こういったクラシックなトーンを定義し、確固たるブリティッシュなイメージを生むのには、デザインや構造における独特の特徴が多くあります。

しかしこれらアンプが生まれたイギリスには、もっとクリエイティブでインスピレーション溢れるアンプが数多く存在しました。50年代後半から70年代初頭にイギリスで流通していた多くのアンプには目を向ける価値があり、異なるイギリスらしさを持つ甘美で古典的なトーンへと導いてくれるでしょう。それでは、世界的には決して人気を得ることのなかったこれらいくつかのアンプにはどのような特徴があったか見ていきましょう。

1963年製 Selmer Zodiac Twin

SELMER

1959年~61年製 Selmer Little Giant

50年代後半から60年代初頭のマルーン&グレー、そしてレッド&カスタードのスタイリッシュなツートンカラーモデルから、60年代半ばの個性的なクロコダイル・スキンをまとったアンプまで、Selmerのギター・アンプは常に見た目にこだわった魅力的な外観が備わっており、それに劣らない説得力のあるトーンが詰まっていました。イギリス製のギター・アンプとしては初のヒット製品であり、初期のアンプ業界では事実上市場を独占していたSelmerは、19世紀後半にヘンリー・セルマーが設立したフランスの楽器メーカーの、ロンドンを拠点とする一部門から生まれました。


Selmerは、長きにわたりイギリスの音楽シーンのメッカであったロンドンの中心部に位置する賑やかなウェストエンドのチャリング・クロス・ロードの何店舗かで、1930年代後半から40年代にかけて初めてアメリカ製のアンプを輸入販売しました。1947年にRSAと同社のブランド、Truvoiceを買収した後、Selmerは独自のアンプの製造を始め、ロックの先駆けであるスキッフルが50年代半ばにイギリスでブームになると、50年代から60年代にかけて製造量を大幅に増やし、その需要に応えました。Selmerは買収後も“RSA Truvoice”というブランド名は残しましたが(恐らくブランド認知が高かったため)、音楽のスタイルが変化するにつれて、ブランドと内部回路の両方を進化させていきました。


1957年時点のラインナップは、TV6、TV12、TV18、TV20の4種類のモデルで、当時Voxアンプはまだトム・ジェニングスの眼の中にだけぼんやりと映っている程度でした。単一の12” スピーカーを介した18WのTV18コンボは、当時イギリスで製造されていた中で最もパワフルなアンプで、14WのTV20コンボはトレモロを搭載し、一風変わった4×8″キャビネットに収まっていました。


1959~61年製 Selmer Professional

競合であるVox A.C.15が進化するにつれて、Selmerは1959年にラインナップを完全に刷新することになります。目を引くレッド&クリーム・カラーのキャビネット(一部のコレクターからは、“ブラッド&カスタード”という愛称で呼ばれています)に収まったアンプでは、Truvoiceの名は残したままRSAブランドを完全に廃止し、親会社の名前を全面に押し出すようになりました。新しいラインアップの最上位はSelector-Tone Automaticで、EL34出力管2本から単一の15” スピーカーに25WのRMSを生成し、その製品名にふさわしいトーンセクション用のひときわ目立つプッシュボタンが備わっています。この頃までに、Selmerはディック・デニーがA.C.15の再設計にそのバルブを採用する以前から、このモデルを含む複数のモデルで、すでに骨太なサウンドを生み出すEF86五極管をプリ管として使用していました。


今ご紹介したアンプと、その次に登場した青みがかったグレーのツートンカラーのモデルはどちらもレトロで魅力的で、今でもわずかに残っていると思われますが、最も人気を博したのが1963から65年に製造された、フェイクのクロコダイル・スキンで覆われたアンプで、今日のヴィンテージ市場ではますます希少価値が高くなっています。これらクロコダイル・スキン期の中でも、Zodiac Twin30とZodiacTwin 50は、心地好いトレモロに合わせて反応するマジックアイ・インジケーターを備えており、屈強な2×12”のキャビネットを介して、それぞれ30ワットと50ワットで音を鳴り響かせました。この頃になるとVoxはSelmerの業績に大打撃を与える存在となり、またMarshallもロック業界を席巻し始めました。それでもビートルズやシャドウズ、そしてアニマルズといった多くのバンドは変わらずSelmerをその後何年かは愛用し続けていたのです。それから数十年も経った後、ザ・ホワイト・ストライプスのジャック・ホワイトもまた、アルバム『Elephant』のレコーディングでZodiac Twin 30を採用していました。


その後、60年代後半から70年代にかけて、Selmerのスタイルは受け入れられなくなり、アンプの優秀さは変わらないものの、その人気は下火となりました。60年代のSelmerの大型アンプは、全体的に太く温かみのあるボイスが特徴で、ドライブを上げると魅力的なアグレッシブさが増し、その他のブリティッシュ・トーンのアンプに引けを取らないほどブリティッシュでした。


WATKINS/WEM

チャーリー・ワトキンスは真の先駆者であり、数十年に渡り音楽シーンで活躍をしてきましたが、イギリスのギター・アンプの分野においては一流のクリエーターとして認められたことは一切ありません。それは恐らく彼が時折自身の方向性の転換を選択することがよくあったからだと思われますが、彼の手掛けたアンプのクオリティには定評があり、一部のプレーヤーから十分に良い音、または状況次第で素晴らしいトーンを出すことができると認められていたものの、一般的には当時アメリカで生産されていた手頃な量産アンプと同クラスの扱いでした。それはさておき、50年代後半から70年代後半にかけて、WatkinsとWEMの名前が掲げられたアンプの中には、注目すべき魅力的なアンプがいくつも存在します。


1963年製 Watkins Dominator

第二次世界大戦で兵役から復帰し、プロのアコーディオン奏者としてしばらく活動した後、チャーリー・ワトキンスは兄と共にロンドン南東部でレコード店を開業し、ほどなくしてその地域のミュージシャンたちから頼られる存在となりました。レジェンドであるトム・ジェニングスが自身の名前やVox/JMIの名で登場する数年前、そしてジム・マーシャルが仲間と共に初のJTM45を完成させる10年も前に、彼はバラムのレコーディング店の店先で、自身の名を冠したギター・アンプを販売するようになりました。ワトキンスは、もともと小型のギター・コンボ・アンプを販売していましたが、50年代後半に名作であるDominatorモデルが完成すると、初めて世に彼の名を知らしめることになりました。スタイリッシュなV字フロントの2×10” キャビネットに収められたEL84出力管2本が17Wを生成し、実際にこのアンプが多くのプロのプレーヤーのステージで使用されることはありませんでしたが、多くの若いギタリストや将来有望なアーティストらを魅了したのです。Dominatorモデルは、その後20年間はラインナップの中核であり続けますが、60年代初頭以降は12” または15” のスピーカーが1基、一般的な長方形のキャビネットに収納される仕様に変更となりました。


1963年製 Watkins Dominatorのコントロールパネル

1963年後半頃から64年初頭にかけ、“VOX”のロゴと外観の人気に触発されたワトキンスは、製品のメイン・ブランドをWEM(Watkins Electric Music)に集約しました。1964年、WEMは最初の30WアンプであるControl ER30とControl HR30を発表し、どちらも4本のEL84出力管、セパレートの2×12” のスピーカー・キャビネットを備えたヘッド型で提供されました。これらモデルでは構造がプリント回路基板(PCB)へ変更となっており、多くのコレクターにとっては、一般的な見方であれば品質の低下を意味しますが、実際にはこの頃以降のアンプは非常に堅牢であり、多くの場合サウンドも非常に優れていました。この頃WEMは、Voxやまだ歴史の浅かったジム・マーシャルの会社と同じようによりパワフルな真空管アンプを志向する選択もありましたが、ソリッドステート・トランジスタの利点が認められ始めており、この世界では良くあることですが、そうした従来の技術はやがて廃れていくと信じていたのです。(皮肉にも当時のアリーナ・クラスのステージで最もヒットしたWEM製品は、大型のソリッドステート・アンプ向けに設計された4×12” Starfinderスピーカー・キャビネットでしたが、ピンクフロイドのデヴィッド・ギルモアはHiwattの100W 真空管アンプヘッドと組み合わせて使用していました。)


1961年製 Watkins Westminster

ワトキンスが成し遂げたふたつの最大の成功は、開発したギター・アンプ自体ではなく、それらと一緒に使用される機材でした。そのひとつは、1958年後半から59年初頭にかけエンジニアのビル・パーキスの助けを借りて開発したWatkins Copicatテープ・エコーです。それは瞬く間にイギリスにおけるテープ・エコーのスタンダートとなり、生産が開始されてから数年間は月に約1,000ユニットを売り上げるほどのヒットとなりました。もうひとつは、その数年後にパーキスのソリッドステート・デザインを利用して開発を始めたパワフルなPAシステムです。メジャーなアーティストたちが彼のギター・アンプを使用することはほとんどありませんでしたが、彼のPAシステムは、ウィンザー、ハイドパーク、そしてワイト島で開催された大規模なフェスで、クリームやザ・フー、スモール・フェイセス、ジェフ・ベック、ジミ・ヘンドリックス、フリートウッド・マックを始めとする多くのバンドが使用しました。


ワトキンスは何度か引退を考えた末、1974年に一旦業界から退いたものの、また80年代になって復帰を遂げます。その後1980年代初頭に再び引退をしますが、その後も製品開発や製造を続け、2000年代初頭と2010年頃にはオリジナルのV字フロントのDominatorのリイシューも承諾しました。彼は2014年に91歳で、バルハムの自宅でその生涯を終えました。


SOUND CITY

60年代半ばのイギリスの音楽シーンでは、パワフルなロックに欠かせないスタックの代名詞として急速に人気が高まったMarshallに対抗しようと、野心に満ちたメーカーが数多く登場しました。そのうち注目すべきは、ダラス・アービター・グループが経営する“City”をテーマにしたロンドンの楽器チェーン店にちなんで名付けられたSound Cityです。ギターとアンプを取り扱うSound Cityの店舗自体はソーホーのルパート・ストリートにありましたが、その数ブロック西にはジェニングスとセルマーが経営するストアを含む数々の楽器店が立ち並ぶチャリング・クロス・ロードがあり、ビートルズ、そしてその後はエリック・クラプトンやジミ・ヘンドリックスら多くのミュージシャンが集うことで知られていたため、先駆者たちに続き、パートナーのアイヴァー・アービターはこの地でアンプ・ビジネスを始めることを決意しました。しかし、そのためには彼にはデザイナーと製造業者が必要でした。


アービターは、イギリスのアンプ業界では別名で知られ経営されていたHylight Electronicsと、Marconi ElectronicsとMullardで経験を積んだばかりの若きエンジニア、デイヴ・リーヴスを選びました。リーヴスと言えば、60年代後半に自身のアンプ・ブランド、Hiwattを立ち上げましたが、イギリスのアンプ史上、Sound Cityよりもはるかに名高いブランドとなったことは言うまでもありません。ダラス・アービターはMarshallのひとり勝ち状態に対抗できるようなアンプを求めていたのかもしれませんが、リーヴスが設計(そしてリーヴス自身が後にHiwattの名で製造を開始)したのは模倣品とは似ても似つかないアンプでした。その外観とコントロールパネルの位置こそMarshallの影響を受けているようにも見えますが、リーヴスはMarshallの名がまだ世に広く知られる以前の60年代初頭に、すでに優れたアンプの開発に着手しており、彼のアンプはオリジナリティがあり、ドライブをどの位置に回しても、クオリティ、パフォーマンス共に最適化されるように設計されていました。


デイヴ・リーヴスが設計及び製作したSound Cityの“One Hundred”オリジナルモデル

Sound Cityが最初に販売したいくつかのアンプは、コントロール部のプレートにシンプルなアービターのブランド名が入っているだけでしたが、その後ショップ独自の一目でそれと分かるバッジを取り付けるようになりました。Hiwatt.orgで詳説されていますが、マイク・フスのリサーチによると、1967年にリーヴスは、ダラス・アービターのためにSound Cityのアンプを1ロット分製造し、およそ800ポンドの報酬を手にしたそうです。それらのアンプは、彼がロンドン郊外の南西部、サリー州モールデンで購入した新居のガレージで製造されました。これらの最初に製造されたアンプは、4本のEL34で100Wを生成し、“One Hundred”、そしてリーヴスがモディファイしたモデルはL100、Lead 105の名で知られています(後にMK1の愛称で呼ばれるようになりました)。


リーヴスは1968年にSound Cityのアンプの製造を打ち切り、彼自身のHiwattモデルの製造に専念、引き続き似たタイプの50Wと100Wのアンプの設計を続けました。ダラス・アービターはその後、リーヴスが設計した回路でSound Cityのアンプ製造を続けていましたが、アセンブリと部品の厳しい製造予算をクリアするためにコスト削減に踏み切ることになります。しかし、リーヴスが去った後にSounc Cityのアンプはコストダウンして製造されたものの、他の大手メーカーのアンプと比較したとしても、その品質が見劣りすることはありませんでした。彼らは優れたPartridgeのトランスフォーマーや、既製の部品の場合でも高品質の部品を採用し、デニス・コーネル(後にブティックアンプのデザイナーとして大成)を含む専属チームが製造にあたりました。Sound Cityのアンプの人気は80年代初頭に高まり、MarshallやVox、Hiwattほどのビッグネームのエンドーサーは存在しなかったものの、60年代ではピート・タウンゼント、ジミ・ヘンドリックス(少なくともMarshallのヘッドと組み合わせキャビを使用)のバックラインで見ることができ、ザ・ローリング・ストーンズもツアーで採用をしていました。


LANEY

他の3メーカーはすべてロンドンを拠点としていますが、脚光を浴びることのなかったイギリス製のギター・アンプで最後にご紹介するブランドは、大都会ロンドンから2、3時間北の地で生まれ、Sound Cityと同じくビッグスタックされる夢を追い求めていました。創世記にアンプ業界に参入した多くの人々と同様、リンドン・レイニーも最初は地元ウェスト・ミッドランズとその周辺でバンド活動をしていたミュージシャンでした。彼が、後のレッド・ツェッペリンのメンバーとなるロバート・プラント、ジョン・ボーナムが所属していたバンド、バンド・オブ・ジョイでベースを演奏していたのは有名な話です。手に入れたいアンプを購入する資金がなかったため、レイニーはアンプを自作するようになりますが、ほどなくして地元の他のミュージシャンからも依頼され製造、販売をするようになります。彼は当初、口コミで拡散した依頼に応えるために父親の家の庭にある小屋でアンプを製造していましたが、徐々に依頼がその環境では対応できないレベルにまで達すると、1967年に自身の会社を正式に立ち上げ、同時にバーミンガムのディグベスに工場を構えました。


1969年製 Laney Supergroup

レイニーは、バーミンガム周辺で広まったヘビーメタル・シーンの時代の移り変わりとともに語られることがしばしばあります。そのヘビー・ロックの界隈における信頼性は、1968年にロバート・プラントにPAシステムを販売し、彼が新たに加入したバンド、レッド・ツェッペリンがその後間もなくアメリカで行ったツアーに採用されたことで、一気に確実なものとなりました。しかしながら、レイニーの最も有名なユーザーはブラック・サバスのトニー・アイオミで、彼らの大ヒット作『Paranoid』をリリースした1970年から使用しています。アイオミが、雷鳴のごとくラウドなモンスター級の振動、そしてぎりぎりまでクランク・アップした時の破壊的なメタルのクランチを生み出す大型のレイニー・モデルのサウンドを定義づけたことは間違いありません。


レイニーは、外観については人気の高いMarshallに倣いつつ、デザインには同社ならではのオリジナリティを持たせるようにしていました。初期のラインナップの核はパワフルな100Wで構成されていましたが、より小さなアンプも常にラインナップに含まれ、最終的にはさらに大型のモデルも加わることになります。発売当初からサバスのリフ職人が飛びついた同社で人気のSupergroup シリーズは、6本のEL34を備えた巨大なSupergroup 200までラインアップしていました。長年レイニーのアンプは、よりメジャーないくつかのブランドの手頃な代替品と見なされてきましたが、それでもなお十分に凶暴さを兼ね備えたパワフルなアンプであると広く認知されており、同社は、リンドンの息子であるジェームズの監修の下、ウェスト・ミッドランズのヘールズオーウェンにあった元の敷地からそれほど遠くない場所で今も操業を続けています(1980年に一度事業を停止した後、ラインナップを刷新し事業を再開)。


栄光を極めたイギリスの真空管アンプ黄金期に、他にも陽の目を見ることのなかったアンプがいくつかありますので、それらをご紹介する記事も今後執筆したいと思っています。中でも、Selmer、Watkins/WEM、Sound City、Laneyは、今日のブリティッシュ・サウンドを定義し続けているビッグネームに続く最も強力なライバル的存在であり、どれも試してみる価値はあります。もし実物を見つけることができるなら・・・


Selmer amps and photos courtesy of Rob Sawyer.

Watkins amps and photos courtesy of Marcel Cavallé.

Sound City amp and photo courtesy of Steven Fryette, Sound City Amplification.


デイヴ・ハンターは、『The Guitar Amp Handbook, British Amp Invasion, The Gibson Les Paul, Fender 75 Years』を始めとする著書を複数執筆し、『Guitar Player』、『Vintage Guitar』、『The Guitar Magazine(イギリス版)』にも数多く寄稿しています。


*ここで使用されている全ての製品名は各所有者の商標であり、Line 6との関連や協力関係はありません。他社の商標は、Line 6がサウンド・モデルの開発において研究したトーンとサウンドを識別する目的でのみ使用されています。